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バラマン爺(じい)
Posted byバラマン爺(じい)

ジョージ・ブランスフォードという人物

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今年もマーリンフィッシングのシーズンがやってきました。

特に今年は、ケアンズで「ブラックマーリン、40周年記念トーナメント」が開催される年です。

今年は、今からちょうど40年前、1966年の9月26日、ジョージ・ブランスフォードという人物が「SEA BABY」というボートで、世界で始めて1000ポンド、450キロを超えるマーリンを竿と釣り糸を使って釣り上げてから、丁度40周年目にあたります。ケアンズをマーリンフィッシングのメッカとして世界に知らしめる出来事でした。

このマーリンは勿論、当時の80ポンドクラスラインでのワールドレコードです。

このジョージという人物、もともとはアメリカ人で太平洋戦争中、ケアンズに駐留していた経験を持ち、ニューギニアでは日本軍と実際に戦っています。1942年から1945年までを北部オーストラリアと南部太平洋で軍人として過ごしています。彼はケアンズ滞在中、シーズンになると漁師達がサワラ漁の外道として釣ってくる小型のマーリンに注目し、その漁師達の話から、もっと大型のブラックマーリンも釣れる筈だと確信していたようです。

アメリカに戻ってから、いくつかの職業を経て、1950年代のはじめから約10年間を、ゲームフィッシングのキャプテンとして、フロリダで過ごます。この間、ジョイスという女性と結婚し、長女、長男を授かっています。その間も、彼は、ゲームボートのキャプテンとし、大きなポテンシャルを秘めたケアンズの海を忘れることができず、1960年には家族を連れてケアンズに旅行しています。妻のジョイスに移住の決意を促すためと、ケアンズのゲームフィッシングのポテンシャルを再確認するためでした。

そして彼は、妻と長女、そして生後7ヶ月の長男を伴って、ついに1963年、ケアンズに移住します。そして「SEA BABY」というボートを建造し、ゲームフィッシングボートのキャプテンとしてスタートを切ります。

これが、ケアンズでのゲームフィッシングの幕開けでした。

このときのボートは32フィート。現在のボートは42フィートクラスが普通ですから、今から
思えば、かなり小型のボートです。チャーターボートビジネスを始めた2年後に、この、世界で始めての1000ポンドオーバーのブラックマーリンを釣ることになるのですが、その前年、1965年には、ケアンズでフィッシングガイドを始めてから最初のグランダー(1000ポンド以上のマーリンのこと)とファイトしています。そのときは7時間のファイトの末、あえなくラインブレイクでビッグフィッシュを逃がしています。

後年、彼は、このときのマーリンは1500ポンドはあったと語っています。1966年のこの出来事以来、徐々にゲームボートの数も増えて、ケアンズの名が世界中のアングラーの間で認知されるようになってきました。

彼は1973年から10年程をハワイ島のコナで、やはりゲームボートのキャプテンとして過ごしますが、再びケアンズに戻り、1994年、ケアンズで息を引き取ります。遺体の灰は妻のジョイスの灰と共に、彼の遺言どおり、グレートバリアリーフに流されたそうです。

写真の「Blue Water」という雑誌は、今回の記念トーナメントの特別号です。今までのケアンズのマーリンフィッシングの歴史が、かなり詳しく出ててます。

ケアンズでのマーリンのトローリングに関しては、以下のページで確認できます。

オーストラリア、ケアンズでのマーリンフィッシング

バラマン爺(じい)
Posted byバラマン爺(じい)

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ハワイに別荘?

PING:
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仕事で出会った人、もう80才を過ぎるような方なんだけど、
ここ7年間、冬の3ヶ月はハワイで過ごしているということだった。

2006/12/03 (Sun) 16:38

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